LENT | Day 5
Day 5 ※御言葉を読む前に、まずは主の前に静まる時間を持ちましょう(2分間)。 その後、御言葉をゆっくりと、3回繰り返して読みましょう。 ルカの福音書 8章22~25節 22) ある日のことであった。イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、弟子たちは舟を出した。 23) 舟で渡っている間に、イエスは眠り始められた。ところが突風が湖に吹きおろして来たので、彼らは水をかぶって危険になった。 24) そこで弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、私たちは死んでしまいます」と言った。イエスは起き上がり、風と荒波を叱りつけられた。すると静まり、凪になった。 25) イエスは彼らに対して、「あなたがたの信仰はどこにあるのですか」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「お命じになると、風や水までが従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろうか。」 ディボーショナル この箇所は、少し前に礼拝でも分かち合われましたが、また改めて黙想したいと思います。聖書の御言葉は生きていて、力があります。何回読んでも、その都度、新しい発見や気づきを与えてくれます。 ガリラヤ湖で大嵐にあった時、弟子たちはただただ恐れ惑いました。すると、居眠りをされていたイエスは起き上がって嵐を叱りつけ、沈められます。そして、弟子たちに「あなたの信仰はどこにあるのか」と聞かれたのです。この問いは、弟子たちの信仰のなさを指摘して辱めるのではなく、弟子たちがイエスをどう捉えているのかを考えさせるための霊的な問いでした。つまり、イエスがこれを問われたのは、弟子たちの信仰のなさを否定し、罪悪感を抱かせるよりも、弟子たちが結局は、どのような「視点」を持っているのかを考えさせるためだったのです。 「あなたの信仰はどこにあるのか。」 これは、私たちが人生の嵐に直面する時、真剣に考えなければいけない問いです。平和な日々で、突如、予期せぬ大きな嵐に出会うことがあります。その時、私たちは弟子たちと同じように、ただただ恐れ惑います。そして、嵐だけを見つめて、自分の手で何とかしようと試みたり、あるいは、嵐が過ぎ去るのを待つばかりです。すぐにキリストを見つめ、キリストの下には行かないのです。イエスの下に行くのは、よくても自分で手を尽くした後です。つまり、私たちはいともたやすく目先の嵐に目を奪われ、キリストがすべてを治められ、すべての問題を瞬時に解決する力のあるお方だということを見失うのです。 イエスの兄弟であったと言われるヤコブは、その手紙の中で、試練にあった時に知恵に欠けている人がいるなら、その人には、神様はだれであっても惜しみなく、とがめることなく、「知恵」を与えてくださると書いています。私たちが嵐や試練の中でキリストを見失う時、素直にキリストを求めるならば、神は私たちに知恵と信仰を与えてくださいます。私たちは、畏れを持ちながらも、その恵みを大胆に期待してよいのです。 問いかけ 思い悩む時、思うようにいかない時、嵐の中でキリストを見失っていることはありますか?それに気づく時、あなたはどうしますか? 祈り 神様。大小問わず、私たちが人生の嵐に会う時、嵐ばかりを見つめ、全知全能のあなたの下へ行くことを、いとも簡単に見失いました。憐れんでください。しかし、あなたはとがめもせずに私を受け入れ、愛し、知恵を与えて下さいます。どうぞ嵐の中であなたを知る知恵を与えて下さい。嵐の中であなたを見つめる目を与えて下さい。主の御名によって祈ります。アーメン。 ※最後に、もう一度、静まる時を持ちましょう(2分間)。 Silence and Stillness before God ...


