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LENT | Day 12

Day 12 ※御言葉を読む前に、まずは主の前に静まる時間を持ちましょう(2分間)。 その後、御言葉をゆっくりと、3回繰り返して読みましょう。 へブル人への手紙 12章1~3節 1) こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。 2) 信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。3) あなたがたは、罪人たちの、ご自分に対するこのような反抗を耐え忍ばれた方のことを考えなさい。あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです。 ディボーショナル 引き続き、へブル人への手紙の続きを分かち合っています。昨日、黙想した11章には、モーセを含め、困難な人生を生き抜いた先人たちのことが列記されています。彼らは私たちがまず出会うことのないような過酷な苦難を経験しました。しかし、彼らがそれを乗り越えたのは、21回も繰り返し使われているように、いつも「信仰によって」でした。 そして、今日の箇所は、「信仰によって」歩もうとする私たちへの励ましの言葉です。それは、私たちが「心が元気を失い、疲れ果ててしまわない(3節)」ためです。これは、日本人クリスチャン、あるいは、日系クリスチャンにとって特に必要だと思います。なぜなら日本でもアメリカでも、多くの日本人教会、日系教会はとても落ち込んでいるからです。その内側にいるとなかなか気づきませんが、霊的に元気がないばかりか、疲れ果てて動けなくなり、残念ながら、実際には「絶滅の危機」に瀕していることを覚えなくてはいけません。 では、11章に書かれるような試練や迫害がないにもかかわらず、私たちに元気がないのはなぜでしょうか。12章1節には、信仰によって歩もうとする私たちを妨げるものが2つ書かれます。それは「重荷」と「罪」です。この二つが、信仰生活のマラソンで足かせとなり、動けなくさせます。重荷とは、私たちが悪くなくても、私たちの心を捕えるものです。例えば、病気、失業、失敗、挫折などの苦しい境遇ですが、娯楽や仕事など、何でも重荷となります。ある有名なアメリカの牧師は、現代のクリスチャンにとって最大の偶像は家族だと指摘していますが、家族ですら重荷となって神から離れさせ、最終的には疲れ果ててしまう原因になります。 一方、「罪」は明らかに私たちに落ち度のあることです。それはガラテヤ5章19節にあるような「淫らな行い、汚れ、好色、 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。」 そこで、今日の御言葉は私たちを励ましています。まずは、それら「一切の重荷とまとわりつく罪」を思い切って捨てること、そしてイエスが自分のために何をなさったのか目を離さないことです。 教会にとても朗らかで明るい高齢の姉妹がいました。彼女は、ある日突然、末期がんの宣告を受け、余命2か月だと言われます。見る見るうちに彼女の身体は痩せ細っていきました。しかし、今でも覚えていることは、身体の衰えと反比例して、彼女の心はますます元気になっていったことです。見舞い客にはいつも笑顔で迎え、亡くなる前日まで、いつも喜んで神に希望を持つように周りを明るく励ましていました。彼女が亡くなった時、寂しさはありましたが、悲壮感は一切感じず、むしろ教会全体が希望に満たされたのです。 私たちは誰しも、彼女のように、この地上での命に限りがあります。与えられた今日という一日、信仰によってできることは何でしょうか。それは、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、キリストから目を離さないことです。今日一日、主にあって元気に歩みたいと思います。 問いかけ あなたにとっての重荷、まとわりつく罪は何ですか? 祈り 神様。周りには元気そうに振舞っても、実は、私の心には元気がなく、疲れていることを認めます。どうぞ憐れんでください。どうぞ何にも勝るあなたの喜びを期待して、重荷と罪を捨てる勇気を与えて下さい。どんなに弱く、罪深く、苦しくても、あなただけを見続ける信仰を与えて下さい。レントのディボーション、どうぞ私の心の深いところを取り扱ってください。主の御名によって祈ります。アーメン。 ※最後に、もう一度、静まる時を持ちましょう(2分間)。 Silence and Stillness before God ...