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LENT | Day 20

Day 20 ※御言葉を読む前に、まずは主の前に静まる時間を持ちましょう(2分間)。 その後、御言葉をゆっくりと、3回繰り返して読みましょう。 コリント人への手紙第二 4章7~11節 7) 私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。 8) 私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。 9) 迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。 10) 私たちは、いつもイエスの死を身に帯びています。それはまた、イエスのいのちが私たちの身に現れるためです。 11) 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されています。それはまた、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において現れるためです。 ディボーショナル 簡単に言えば、私たちのもろい身体の中に宝を入れると、なんと不思議、不死身の身体に変えられるというのです。もともと私たちは、小石がコツンと当たっただけでも、すぐにヒビが入ってしまうほど壊れやすいものでした。小さな失敗や苦しみ、人間関係の不和でも心が掻き乱され、人を赦したり、状況を受け入れることができませんでした。しかし、宝を中に入れているだけで、どんな方向から圧力をかけられても割れることなく、苦しんでも希望を失わず、信仰ゆえに攻撃されても孤立せず、打ちのめされてもまた立ち上がる、というのです。まるで不死身です。 もちろんこれは霊的な例えですが、10節、11節では、この「測り知れない力(7節)」が現わされるためには、私たちは「イエスの死」を経験する必要があると教えています。ここでイエスの十字架の死を経験するとは、自分に死ぬことです。自分が無に等しいことを悟り、プライドや怒りを手放し、自分の夢や考えを捨てることです。 ピーター・スキャゼロは、私たちがどんなにキリストに従おうとしても、十字架の死まではなかなか従えないと指摘しています。私たちは、水がぶどう酒に変えられるパーティーに参加したり、温かな日差しの照らすビーチでイエス様の説教を聞くことはできます。しかし、いざ十字架の死に従うとなれば、足がすくんでしまうのです。十字架への道を独りで歩むのは、あまりに恐いからです。 しかし、十字架の死の先に約束されているものは、イエスの復活のいのちです。イエスのいのちを経験するとは、無力でもろい私たちが「不死身」を着せられることです。つまり、どんな苦しみにも耐えることができる「理解できない力」を得て、「不死身の生き方」を送ることが、実際にできるのです。心についての例えですが、誇張や綺麗事ではありません。実際に、そのような生き方に変えられるのです。だからこそ「私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されています。それはまた、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において現れるためです。(11節)」 私たちが内に入れた「宝」とは、イエスの死といのちです。私たちは今日もその宝を経験する必要があるのです。 問いかけ 「イエスのいのち」を経験するために、今日は、どのように「イエスの死」を経験できるでしょうか。 今日、神様が手放すように願われている自分のプライド、怒り、考え、夢は何でしょうか。 祈り 主よ。十字架の下でひざまづき、あなたの死を経験することをいつも避けてきました。どうぞ恐れを取り除き、あなたの十字架を通してあなたと隣人を愛せるように変えてください。あなたが先に成し遂げて下さった完全な死と復活を、どうか私も経験できるように助けてください。あなたの御名によって祈ります。アーメン。 ※最後に、もう一度、静まる時を持ちましょう(2分間)。 Silence and ...