View Post

LENT | Day 22

Day 22 ※御言葉を読む前に、まずは主の前に静まる時間を持ちましょう(2分間)。 その後、御言葉をゆっくりと、3回繰り返して読みましょう。 ルカの福音書 19章41~44節 41) エルサレムに近づいて、都をご覧になったイエスは、この都のために泣いて、言われた。 42) 「もし、平和に向かう道を、この日おまえも知っていたらー。しかし今、それはおまえの目から隠されている。43) やがて次のような時代がおまえに来る。敵はおまえに対して塁を築き、包囲し、四方から攻め寄せ、44) そしておまえと、中にいるおまえの子どもたちを地にたたきつける。彼らはおまえの中で、一つの石も、他の石の上に積まれたまま残してはおかない。それは、神の訪れの時を、おまえが知らなかったからだ」 ディボーショナル 十字架につかれるために、エルサレムの街へ向かわれる時のことです。イエスは、エルサレムのために涙を流されます。イエスが泣かれたことは、福音書では2回、書かれます。一回はラザロが死んだとき。そして、もう一回は今日の箇所です。ここで「泣く」という訳されるギリシャ語は、しくしくとしんみりと泣くのではなく、声に出しておいおいと泣くということです。そのシーンを想像してみてください。 エルサレムという言葉は、「平和の街」という意味です。しかし、このエルサレムは過去、現在、未来に渡って、神に逆らい続け、それゆえイエスは涙を流されるのです。これまで、長い歴史を通じて、神を裏切り続けたこと。今、神が人間の代わりに十字架について裁かれようとしていること。そして、将来、エルサレムの街が滅ぼされること。これらについて涙を流されました。実際、紀元後70年にエルサレムはローマ帝国によって滅ぼされ、60万人ものユダヤ人が殺害されたと歴史書に記録されています。 エルサレムに向かわれる時、イエスは嘆きと悲しみを露わにされました。そして、マルコの福音書によれば、エルサレムへ入城した翌日、イエスは神の宮が商売の中心になっていたこと見て、今度は怒りを露わにされました。神であり、人間であるイエスは、時に、感情をむき出しにされていることが分かります。 ピーター・スキャゼロは、私たちの多くが悲しみや怒りなどの生々しい感情を露にすることに罪悪感を覚えていると指摘しています。私たちは、自分の感情を押し殺し、あたかも何もなかったかのように平静を装ったり、常に笑顔を振りまこうと努めています。 しかし、ここで引用されるC. S. ルイスの言葉は私たちをはっとさせます。「私たちは、私たちの心の中にあるものをそのまま神の前に持っていくべきです。しかし、私たちは心の中に『あるべきもの』を神の前に持っていこうとするのです。」つまり、私たちは、神の前で「良いクリスチャン」を演じようとします。胸が張り裂けるほどの悲しみを経験したり、嘆き、苦しみ、怒りを覚えても、私たちはあたかも何もなかったかのように装うのです。 しかし、イエスはそうではありませんでした。へブル人への手紙5章7節では、イエスは「大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ」られたと書かれています。苦しみや悲しみを覚えたり、不正や不条理に対して怒りを持つことは、不信仰なことではありません。 今、神の前にそのまま差し出すべき感情は何でしょうか。神はそれを見下したり、裁かれることはなく、共感と同情を示して下さり(へブル4:15)、魂の癒しへ招かれるでしょう。 問いかけ 神の前で「良いクリスチャン」を装うことなく、そのまま神の前に進み出ることで、あなたの祈りの生活はどのように変えられるでしょうか? 祈り 父なる神様。御心に適うものあっても、そうでなくても、あなたの前で自分の正直な思いを表すことを恐れてきました。しかし、あなたは全てご存知でありながら、私を赦し、受け入れ、癒そうと招いておられます。何という平安でしょうか。どうぞ正直な心のまま、あなたに近づかせてください。あなたの御言葉と祈りの生活を深めてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。 ※最後に、もう一度、静まる時を持ちましょう(2分間)。 Silence and Stillness ...