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LENT | Day 24

Day 24 ※御言葉を読む前に、まずは主の前に静まる時間を持ちましょう(2分間)。 その後、御言葉をゆっくりと、3回繰り返して読みましょう。 創世記 2章7~17節 7) 神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。8) 神である主は東の方のエデンに園を設け、そこにご自分が形造った人を置かれた。9) 神である主は、その土地に、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、そして、園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせた。 10) 一つの川がエデンから湧き出て、園を潤していた。それは園から分かれて、四つの源流となっていた。11) 第一のものの名はピション。それはハビラの全土を巡って流れていた。そこには金があった。12) その地の金は良質で、そこにはベドラハとショハム石もあった。13) 第二の川の名はギホン。それはクシュの全土を巡って流れていた。14) 第三の川の名はティグリス。それはアッシュルの東を流れていた。第四の川、それはユーフラテスである。 15) 神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。16) 神である主は人に命じられた。 「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。17) しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」 ディボーショナル 今日の御言葉から、あなたはどのようなことを語られますか?ディボーションをするときには、すぐに解説を読まず、神様があなたという個人に対して、直接、何を語ろうとしているのか、5分ほど時間をとって祈ってみてください。 ----------- それぞれ様々なことを示されたと思います。それを踏まえて、ここでは私が個人的に示されたことの中から一つ、お分かちしたいと思います。それは「デイリーディボーションは、そもそもなぜするのか?」という問いでした。 私たちは普段の生活の中で、ほとんど時間、自分の思いのままに動いています。これは強ち悪いことでありません。エデンの園の管理を任されていたアダムとイブもそうでした。神は人間のために、エデンの園に「見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木(9節)」を生えさせました。リンゴ、梨、マンゴー、ぶどう、クルミ、いちごなど、ありとあらゆる木があったでしょう。そして、神は彼らに「命じて」、どの木からでも「思いのまま(16節)」食べてよいと言われたのです。神は、私たち一人ひとりに働きを与えられ、その働きの実りを思う存分に味わえるよう、選択の自由を与えて下さいました。 しかし、同時に、神は「園の中央」に「いのちの木を、また善悪の知識の木」を生えさせ、その木からは、決して食べてはならないと言われました。これも、他の木の実からは「思いのまま」食べて良いと言われたのと同様、神様が「命じられたこと」でした。つまり、神の働きを任された私たちには、選択の自由が与えられたものの、何が正しく、何が正しくないかの判断だけは、神のみがされるいうことです。私たちの働きの中心(=園の中央)に、神の判断(=善悪の知識の木)を据えるのです。 これを踏まえて、今、まさに行っているデイリーディボーションの目的を考えます。私たちがディボーションをする目的は、自分の働きを止め、自分の考え(判断)を手放し、神に信頼することです。この神への信頼の欠如こそが、エデンの園でアダムとイブが犯した罪の本質でした。私たちは、学校、家事、育児、仕事、教会など、様々な神様の働きをする中で、自分の判断や考えで進めていこうとします。しかし、毎日、立ち止まる必要があります。さらに、立ち止まるだけでなく、神の考えを聞き、それに従う必要があるのです。そのために、神様は日々の御言葉を与えて下さっているのです。 時々、私たちは、デイリーディボーションをする目的は、自分に役に立つからだと考えることがあります。確かに、御言葉は日々の歩みの支えになります。しかし、ともすれば、「自分の」考えや働きに合わせて、神からのサポートを受けるためにディボーションをしようと試みていることがあります。しかし、それは全く逆でしょう。私たちは、家庭であれ、仕事であれ、自分が望む成功のためにディボーションをするのではありません。自分の考えに神の考えを合わさせたり、自分にとって「役に立つ」聖書の言葉を探すために、ディボーションをするのではありません。ディボーションをする目的は、私たちが神の働き(エデンの園の働き)をするときに、神の考えが中心(園の中央の木)になるためです。そのために、私たちは毎日、立ち止まり、自分の考えや働きを手放し、神の言葉を聞きたいのです。 問いかけ ...