LENT | Day 25
Day 25 ※御言葉を読む前に、まずは主の前に静まる時間を持ちましょう(2分間)。 その後、御言葉をゆっくりと、3回繰り返して読みましょう。 ヨハネの福音書 15章4~5節 4) わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。 5) わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。 ディボーショナル イエスのぶどうの木のたとえ話です。ここでは、父なる神は農夫、御子イエスはまことのぶどうの木、そして、私たちはぶどうの枝に例えられています。このたとえ話の中心的な教えは、私たちがイエスとの関係に「とどまりなさい」ということです。この「とどまる」ことについて深く考えたいと思います。 この文脈で使われる「とどまる」という言葉には、少なくとも三つの意味合いがあることに気づかされます。それは、「動かない」、「保つ」、そして「受け入れる」という意味合いです。まず、「動かない」とは、神の前で立ち止まることです。次に、「保つ」とは、神との関係を変えないこと、つまり、切れたりつながったりを繰り返すような断続的な関係ではないことです。最後に、「受け入れる」とは、実を結ばせるものは、枝である自分ではなく、ぶどうの木であるイエスであると受け入れることです。 ここで「とどまる」=「動かない」について、もう少し考えてみたいと思います。私たちは、24時間365日、寝ている時間以外はいつも忙しく動いています。身体が動いていなくても、頭や心が動いています。しかし、私たちは、イエスとの関係を築くためには、必ず立ち止まる必要があります。神様との関係は、親子関係や夫婦関係と同じように、マルチタスクしながらでは決して深められない性質があります。運転しながら、スマホをいじりながら、あるいは、他ごとを考えながらでは、神との関係は深まりません。また、仕事や家庭や伝道など、それが神のためであっても、動き続けるだけで立ち止まることがなければ、決して深められません。必ず止まる必要があるのです。 止めるとは、手と頭と心のすべて止めることです。つまり、働きを中断し(手)、考え事を中断し(頭)、そして、色々な思いを脇に置くこと(心)です。神との関係は、動くことではなく、止まることから始まります。一方、どんなに頑張って働いても、奉仕をしていても、神との関係にとどまらないことがあり得ます。「忙」という漢字は言い得て妙で、忙しく過ごすうちに「心」を「亡ぼす」ことになるからです。 自宅の庭で巨峰を育てていた時を思い出します。実際、ぶどうの木を見ると、つるのように細く、地味で乾燥した枝でつながっています。しかし、時期が来ると、「この甘さはどこから生まれたのか」と驚くほどの巨峰の実が数えきれないほど実ります。ご近所におすそ分けしても余ってしまうほど多くの実が毎年、実ります。 デイリーディボーションの目的は、自分のすべてを止めて、神にとどまることです。これは動的で派手なものではなく、むしろ静的で地味なものです。毎日のディボーションは一見、弱々しく、意味がなく感じられるかもしれません。毎日、目からがうろこが落ちるような体験はないかもしれません。しかし、神にとどまることで確かな実りが約束されているのです。 問いかけ イエスにとどまるために、止める必要があることは何ですか? 祈り 父なる神様。私はいつも休むことなく動いてきました。外は様々な働きで、内は様々な思いや考えで、絶え間なく動いています。そこから得られたものは、あなたの知恵と安らぎではなく、自己中心と疲れでした。どうぞ赦してください。あなたを信頼し、勇気をもって、すべてを止めてあなたとの時間を過ごせるように助けてください。主に御名によって祈ります。アーメン。 ※最後に、もう一度、静まる時を持ちましょう(2分間)。 Silence and Stillness before God (2 minutes) John ...


