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LENT | Day 32

Day 32 ※御言葉を読む前に、まずは主の前に静まる時間を持ちましょう(2分間)。 その後、御言葉をゆっくりと、3回繰り返して読みましょう。 ルカの福音書 7章36~50節 36) さて、あるパリサイ人が一緒に食事をしたいとイエスを招いたので、イエスはそのパリサイ人の家に入って食卓に着かれた。37) すると見よ。その町に一人の罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油の入った石膏の壺を持って来た。38) そしてうしろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらイエスの足を涙でぬらし始め、髪の毛でぬぐい、その足に口づけして香油を塗った。39) イエスを招いたパリサイ人はこれを見て、「この人がもし預言者だったら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っているはずだ。この女は罪深いのだから」と心の中で思っていた。 40) するとイエスは彼に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがあります」と言われた。シモンは、「先生、お話しください」と言った。41)「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリ、もう一人は五十デナリ。42) 彼らは返すことができなかったので、金貸しは二人とも借金を帳消しにしてやった。それでは、二人のうちのどちらが、金貸しをより多く愛するようになるでしょうか。」43) シモンが「より多くを帳消しにしてもらったほうだと思います」と答えると、イエスは「あなたの判断は正しい」と言われた。44) それから彼女の方を向き、シモンに言われた。「この人を見ましたか。わたしがあなたの家に入って来たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、彼女は涙でわたしの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐってくれました。45) あなたは口づけしてくれなかったが、彼女は、わたしが入って来たときから、わたしの足に口づけしてやめませんでした。46) あなたはわたしの頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、彼女は、わたしの足に香油を塗ってくれました。47) ですから、わたしはあなたに言います。この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。」48) そして彼女に、「あなたの罪は赦されています」と言われた。49) すると、ともに食卓に着いていた人たちは、自分たちの間で言い始めた。「罪を赦すことさえするこの人は、いったいだれなのか。」50) イエスは彼女に言われた。「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」 ディボーショナル イエス様のミニストリーを見ると、女性や罪人、病人が度々、登場することに気づきます。なぜでしょうか?そのような人たちに共通することは、当時の社会で最も地位が低く、煩わしくて相手にされない存在だったことです。イエスがそのような人たちに対してあえて近づいたのは、社会とは異なる視点を持っていたからです。 パリサイ人たちの目には、この罪深い女は、神から愛されている尊い存在には映っていませんでした。罪が深く、汚れていて、楽しい食事の邪魔になる者、一緒に食事をすること自体、相応しくない者だと見ていました。積極的に嫌悪するというよりも、視界に入らない者、気にも留めない者のようでした。そのような視点を持っているとき、心の中はイエスと女に対する不平不満で満ちていたのです。 しかし、神の愛を経験した者は、他者に対する視点が変えられます。隣人を愛することは、気づきから始まります。学校でも、仕事場でも、家族や友達の間でも、その人が神様から愛されている尊い存在だということに気づきます。偏見、思い込み、無関心や裁こうとする思いを手放し、神にとってのその人の価値を思いやるのです。その人は、神様にとっては、命を捨てても救いたいと思った人だと知るのです。 神の愛を拒絶したパリサイ人は、罪深い女に対してそのような視点を全く持っていませんでした。イエスに対しては、不平や策略で満ちていました。このように、自分の罪が赦された愛の大きさを知らない者は、神の視点が分からず、人を愛することができないのです。 面白いことに、今日の御言葉は、数日前に読んだ放蕩息子のたとえ話に似ています。パリサイ人は兄息子のように不平を漏らし、罪深い女は弟息子のように涙して神のもとに行き、赦しを経験します。イエスは、罪の赦しと救いをもたらす権威のある父親と重なります。 私たちが神様の愛を経験しているかどうか、言い換えれば、罪の赦しを受け入れたかどうかは、私たちの視点によって分かります。私たちは、兄息子やパリサイ人のように、不平不満に満ちているでしょうか。周りの人が自分によくしてくれない、神様や教会や牧者が自分によくしてくれないと不平不満があるうちは、まだ神の愛を経験していないでしょう。そして、周りの人を愛することはできないでしょう。 しかし、自分の罪や弱さが赦されたことを知っている人には、平安があります(50節)。喜びがあります。人のために何かしてあげたいと、頭の考えているだけでなく、時間やお金など大きな犠牲を伴っても、心から積極的に愛を行動に移すことができます。私たちは、周りの人にどのような視点を持っているでしょうか。 ...