LENT | Day 33
Day 33 ※御言葉を読む前に、まずは主の前に静まる時間を持ちましょう(2分間)。 その後、御言葉をゆっくりと、3回繰り返して読みましょう。 マタイの福音書 7章1~5節 1) さばいてはいけません。自分がさばかれないためです。2) あなたがたは、自分がさばく、そのさばきでさばかれ、自分が量るその秤で量り与えられるのです。3) あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。4) 兄弟に向かって、『あなたの目からちりを取り除かせてください』と、どうして言うのですか。見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。5) 偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取り除くことができます。 ディボーショナル これまでのディボーションでも分かち合いましたが、イエスは度々、「見ること」や「視点」をトピックとして教えられました。今日の箇所も「目」に関連して教えています。 私たちは誰でも、教えられなくても得意なことがあります。それは、他人へアドバイスしたり、他人の過ちを指摘することです。このような時、私たちはその人が神様の前でその人らしく生きることを受け入れていません。その人の生き方や考え方が自分のもとは異なることに不快感を覚え、その不快感を解消したいために他者を裁こうとするのです。 一方、裁かれた方は通常ショックを受けて、直接的に反撃するか、間接的に第三者に文句を言ったり、ゴシップを広げたりしてやり返します。あるいは、静かにその人との関係から身を引くようになります。こうして、外面は笑顔を装っていても、内面には見えない争いと苦々しさが募り、この緊張感が教会全体を蔓延していくのです。 今日の箇所が「兄弟」同士について書いているように、これはクリスチャン同士の裁き合いについてです。裁き合いは古今東西、どこの教会でも見られます。しかし、ある日本のキリスト教大学の学長の先生とお話ししたとき、その方は率直にこう言われていました。「日本の教会が成長しないのは、教会の外ではなく、教会の内に真の赦しの経験がないからかもしれません。」 容易に人を裁き、人から裁かれてしまう私たちは、一体、どうしたら良いのでしょうか。今日の箇所は、希望を伝えています。その解決法はただ一つ、自分の目から梁を取り除くということです。このプロセスは2段階あります。まずは、①自分の梁、つまり自分の罪にに気づくこと。そして、②梁を取り除いていただくこと、つまり罪の悔い改めと赦しを経験することです。 自分の梁が取り除かれると、私たちは本当に目が見えるようになります。それは、兄弟姉妹の罪が見えるようになるのではなくて、兄弟姉妹の神の子どもとしての価値が見えるようになるのです。さらに、神の前に共に歩み出て、その人と一緒に赦しを経験するのです。それが、「はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取り除くことができます。」ということの意味でしょう。 問いかけ あなたにとって、裁かずにはいられない人、赦さずにはいられない人は誰でしょうか。 その人に裁きではなく、恵みと祝福をもたらすように神様から招かれているとしたら、具体的に何ができるでしょうか。 祈り 父なる神様、多くの人を裁いたり、不平不満を続けている私を赦して下さい。私の梁に気づかせ、それを取り除いてください。自分が神のようになって人を裁いてしまう私のために、イエス様が代わりに裁かれたことを覚えます。私を憐れんでください。イエス様の御名によって。アーメン。 ※最後に、もう一度、静まる時を持ちましょう(2分間)。 Silence and Stillness before God ...


