LENT | Day 2
Day 2 ※御言葉を読む前に、まずは主の前に静まる時間を持ちましょう(2分間)。 その後、御言葉をゆっくりと、3回繰り返して読みましょう。 ヨハネの手紙第一 2章15節~17節 15 あなたは世も世にあるものも、愛してはいけません。 もしだれかが世を愛しているなら、その人のうちに御父の愛はありません。 16 すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢は、御父から出るものではなく、世から出るものだからです。 17 世と、世の欲は過ぎ去ります。しかし、神のみこころを行う者は永遠に生き続けます。 ディボーショナル 「この世も、この世にあるものも、愛してはいけない」のは、なぜでしょうか? そもそも、この世が「悪」だからでしょうか?この世に欲を持つことが「悪」だからでしょうか?それとも、クリスチャンは、世捨て人にならなくてはいけないからでしょうか? これには、自信を持って「誤り」と答える必要があります。この短い箇所だけでも、この世を愛してはいけない理由が二つ、書かれます。 1) 15節 その人のうちに御父の愛がないからです。この世を愛するものを、神様が愛さないわけではありません。神様がその人を愛していても、この世を愛することで、事実上、その人は自ら神様の愛が受け取れなくなるのです。 2) 16-17節 この世と、世の欲は、過ぎ去るからです。 分かりやすく言えば、この世は一時的だからです。家族、健康、若さ、仕事、地位、財産、いのち。悲しいかな、現実としてこれらすべては一時的なものです。それらを追い求めたり、保とうとしても、いつかは失われます。その時、自分自身に正直に向かうなら、心の奥底には虚しさが残ることが分かります。 トーマス・マートンという修道士は、次のように言っています。 「私たちの住む社会は、難破船から放り出された荒波の海のようなものだ。社会の価値観の流れに身を任せ、地に足がつかないところをあてもなく泳いでいるうちは、ただおぼれていく一方だ。その時は、他者を助けることができない無力感にも苛まれる。船を難破したことを悔やむばかりで、悲劇そのものだ。しかし、一度、浅瀬に近づき、地を足で掴めるようになったその瞬間から、事態は一変する。つまり、社会の価値観に流されず、真に価値のある土台を見出したその瞬間だ。その時には、自分が助かるだけでなく、おぼれかけている世界そのものを救いに導く力と使命が与えられる。」 キリスト教信仰は、禁欲主義や道徳的なマゾヒズムではなく、むしろ自由と選択です。つまり、私たちがこの世を愛さない(最優先に求めない)と決断するときには、それより良いものを選択しているのです。真の満たし、生きがい、喜び、希望、いのちが、キリストにあって約束されていることを、堂々と、自信を持って期待してよいのです。 問いかけ 使徒ヨハネが言うように、この世を愛さないためには、私は、具体的に、どのように生活を変えることができますか?取りかかれる小さなことは、何でしょうか? 祈り 神様。私は本当は、何を愛しているのでしょうか。本当は、何に耳を傾けているでしょうか。示してください。あなたとあなたの言葉でしょうか。それとも、社会と社会の価値観でしょうか。もし、あなたが私の心が一時的なもので満たされていると言われるなら、どうぞ、その空しいものをあなたで置き換えてください。私を憐れんでください。愛してください。満たしてください。私にはそれができません。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。 ※最後に、もう一度、静まる時を持ちましょう(2分間)。 Silence ...


