7/19 Message (Japanese Translation)

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「あなたはどこにいるのか?」  創世記3章1~13節 マイク・カーツ師 私たちはここ数週間旅行していました。カリフォルニアまで車で行き、家族に会い、長い間離れていた分の近況を語り合いました。そしてご想像の通り、久しぶりに会って話をするときにありがちな質問を交わす場面がたくさんありました。そのときに気づいたことがあります。質問への答えは、尋ねた人に情報を与えます。しかし、良い質問はそれ以上のことをします。良い質問が明らかにすることには、あまり気づかれていない二つの効果があります。 一つ目は、質問に答える側として、良い質問は私を立ち止まらせ、考えさせるということです。そしてその過程で、私は自分自身について何かを学ぶのです。考えてもいなかったことを聞かれることもあります。良い質問は、答える人の何かを明らかにします。 そして良い質問の効果の二つ目は、質問する側について何かを明らかにするということです。人がどんな質問をするかによって、その人が何に関心を持っているかがわかります。その人にとって何が大切かが明らかになるのです。良い質問は、答える人にも、尋ねる人にも、何かを明らかにします。 聖書全体を通して、神は何百もの質問をなさいます。それらはしばしば単純な質問ですが、神について多くのことを明らかにします。そして、それらが良い質問である理由は、私たちがその質問について考えるときに、私たち自身についても何かが明らかになるからです。この夏の説教シリーズでは、神が問いかける問いについて見ていきます。神が私たちに問いかける質問について、立ち止まって考えたことがありますか?それらは実に興味深いものです。神は情報が必要だから質問をなさるのではありません。神が答えを知らなかったために質問をされたことは一度もありません。神が質問をなさるのは、私たちが答えを必要としているからです。 今日は、聖書の中で神が問いかける最初の一連の質問から始めます。それは創世記の中に見られます。これらの質問は次々と続いていきます。そして、これらは基本的な質問でありながら、聖書の残りの部分全体を通して非常に深く答えられていくものだということがわかるでしょう。したがって、これらはおそらく聖書全体の中で最も重要な質問と言えるでしょう。これらの質問は、特に私たちが罪を犯したときに向けられる神の心を明らかにします。そして同時に、私たち自身が答えなければならない、心に突き刺さるような問いも明らかにします。 その質問とは何でしょうか。それは創世記3章に見られます。しかし読む前に、少し背景を説明させてください。神はアダムとエバをエデンの園に置き、園にあるどの木からでも食べてよいと許可を与えました。ただしいのちの木と、善悪の知識の木は例外でした。しかしある日、蛇であるサタンがエバを誘惑し、アダムと共にその木の実を食べるようにそそのかしました。サタンは彼らに神を疑わせました。こうして二人はその木の実を食べ、罪が世界に入り込み、恥のあまりアダムとエバは木々の間に身を隠しました。そして今朝はそこから読み始めます。創世記3章にはこうあります。 8 そよ風の吹くころ、彼らは、神である主が園を歩き回られる音を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。9 神である主は、人に呼びかけ、彼に言われた。「あなたはどこにいるのか。」10 彼は言った。「私は、あなたの足音を園の中で聞いたので、自分が裸であるのを恐れて、身を隠しています。」11 主は言われた。「あなたが裸であることを、だれがあなたに告げたのか。あなたは、食べてはならない、とわたしが命じた木から食べたのか。」12 人は言った。「私のそばにいるようにとあなたが与えてくださったこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」13 神である主は女に言われた。「あなたは何ということをしたのか。」女は言った。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べました。」(創世記3章8~13節) この短い箇所の中で、神はまずこの質問から始められます。 1. あなたはどこにいるのか。 アダムはこの質問にどう応じたでしょうか。 彼は隠れました。なぜでしょうか。なぜアダムは隠れたのでしょうか。もちろん、彼は罪を犯したので隠れたのです。彼は恥を感じていました。しかし、それだけではない何かがそこにあります。 子どもの頃、何か悪いことをして見つかったとき、なぜ隠れたのでしょうか。それは、結果を恐れたからです。私は子どもの頃、何か悪いことをすると両親から隠れたことを覚えています。まるで疫病のように両親を避けていました。できる限り友達の家に泊まっていました。私たちは恐れているとき、隠れます。私たちは避けます。それは結局のところ、結果を恐れているからです。 アダムがしたことも、まさにそれではないでしょうか。 神の質問への彼の最初の答えは「私は恐れて、身を隠しています」でした。 彼は神を恐れていました。自分の罪のために神が何をなさるかを恐れていたのです。それは2章での彼の状態とはまったく違います。2章では、アダムとエバは園で神と共にいました。神との関係を妨げるものは何もありませんでした。彼らは何の恥もなく、神との交わりを楽しんでいました。しかし3章になると、彼らは神を恐れるようになります。自分たちのしたことに罪責感と恥を覚えていました。彼らは神から距離を置いたのです。注目してほしいのは、神が「何が起こったのか」とは尋ねられなかったということです。神の質問は関係の核心に触れています。「私たちの関係に何が起こってしまったのか、見てごらん!」と言っているのです。そしてアダムはそれを完全に理解しています。なぜなら、彼は自分が何をしたか、あるいはどこに隠れていたかを答えず、自分がどう感じているかを答えているからです。「私は恐れていました」と。 神は今日も私たちに同じ質問をなさっていると思います。あなたはどこにいるのか。地理的な意味ではなく、関係的な意味で。あなたは神との関係において、今どこにいるでしょうか。 哀れなアダム。彼は平安を失いました。彼は喜びを失いました。彼は確信を失いました。彼は神との率直さを失いました。彼は神との親密さを失いました。神が「あなたはどこにいるのか」と問われるとき、それは実はアダムの状態を明らかにしています。彼はみじめな状態にあるのです。 先週、ある人と話をしていたとき、彼女は人生の困難な時期に神から離れていったことを打ち明けてくれました。近しい親族が突然亡くなり、それが彼女をつらい状況に追いやったのです。彼女は神に対して怒りを覚え、助けを求めて神に向かう代わりに、神から逃げました。ある意味で、彼女は神から隠れていたのです。恐れからではありませんでしたが、神のそばにいたくなかったのです。そして彼女はみじめでした。神から隠れることは、何の助けにもなりませんでした。 あなたはどこにいるのか。それは神が私たちに毎日問いかけておられる質問だと思います。ですから、自分自身に問いかけてみてください。今、あなたと神との関係の状態はどうでしょうか。あなたは神から隠れていますか。神を避けていますか。神を脇に押しやっていますか。それとも、神を大切にし、日々神と共に歩み、神と語り合っていますか。あなたは恐れから神から逃げていますか、それとも神の恵みゆえに神のもとへ走り寄っていますか。この一年、あなたが歩んできた道は、あなたをどこに導いているでしょうか。 「あなたはどこにいるのか」という問いは、私たちの状態を明らかにします。 しかしその後、神はもう一つの質問を続けて問われます。アダムは自分と神との関係の状態に気づきます。それがいかにひどいものかを悟ります。彼は疑いなく罪責感を覚え、おそらくまだ神を恐れています。そして、聖書の言葉通り、彼は恥を感じています。 …