「あなたの弟はどこにいるのか」 創世記4章1~15節 マイク・カーツ師 何かをずっと先延ばしにし続けて、ある日問題がひどく悪化してしまい、「もっと早い段階で対処しておけばよかった」と後悔した経験はありませんか?それは、車のオイル交換を先延ばしにするようなものです。しばらくは問題なく済みます。車は走り続けますし、何もおかしいところはないように見えます。だから、先延ばしにし続けてしまうのです。しかし、やがてその怠慢が自分を追い詰め、本来なら比較的安価で済んだはずのオイル交換が、非常に高額なエンジン修理になってしまうことがあります。 結婚生活でも同じことが起こり得ます。最終的に離婚に至った初婚の場合、離婚までの結婚生活の平均は約13年です。もちろん、それは13年間ずっと結婚生活が悪かったという意味ではありません。しかし普通、人間関係が一夜にして崩壊することはありません。問題が長い間未解決のまま放置され、ようやくその悲劇的な結果に気づくのです。 「神の問い」というメッセージシリーズを続けていますが、今朝は創世記第4章、カインとアベルの物語を見ていきます。そして、小さなことでも人の心の中で芽生え、それに対処しようとしない場合に、何が起こり得るのかを見ていきます。罪の悲劇的な点は、ただ単に、今、それが何をもたらすかということではなく、今日対処しなければ、やがてそれがどうなってしまうのかということです。 この物語から、もうひとつ気づいてほしいことがあります。神はただ傍観して事態の成り行きを見守っているだけではありません。神は慈しみをもって介入してくださるのです。神はカインの心の内を見抜き、彼に近づき、問いかけ、この先どうなるかを警告してくださるのです。そして、神は私たちに対しても同じようにしてくださいます。そこで、この箇所を学んでいく中で、皆さんに心の片隅に留めておいてほしい質問があります。「今、私の心の中で起きている何か小さなことで、神様が私に向き合い、取り組むよう促しておられることはあるだろうか?」 創世記4章1~9節を読んでみましょう。 人は、その妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「私は、主によって一人の男子を得た」と言った。彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは大地を耕す者となった。しばらく時が過ぎて、カインは大地の実りを主へのささげ物として持って来た。アベルもまた、自分の羊の初子の中から、肥えたものを持って来た。主はアベルとそのささげ物に目を留められた。しかし、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それでカインは激しく怒り、顔を伏せた。主はカインに言われた。「なぜ、あなたは怒っているのか。なぜ顔を伏せているのか。もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。しかし、もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない。」 カインは弟アベルを誘い出した。二人が野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかって殺した。主はカインに言われた。「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」カインは言った。「私は知りません。私は弟の番人なのでしょうか。」(創世記4章1~9節) さて、カインとアベルという二人の兄弟がいました。この二人の兄弟にはそれぞれ違う役割があり、カインは農夫で、アベルは羊飼いでした。二人はそれぞれの仕事から得たものを主への捧げ物として持ってきました。カインは収穫物の一部を、アベルは自分の群れから生まれた羊の初子を捧げました。そして、理由は聖書に書かれてありませんが、理由が何であれ、神はアベルの捧げ物を喜ばれましたが、カインの捧げ物は受け入れられませんでした。このことでカインは怒り、へブル語の原文では文字通り「顔色が変わった」とあります。欲しいものが手に入らず、すねてうつむきながらも、同時に怒りを露わにしている子供の姿を思い浮かべます。そして、神はカインに最初の問いかけをします。神はこう尋ねました: 1.なぜ、あなたは怒っているのか この箇所から、カインが何か間違ったことをしたことがわかります。なぜなら、神は修辞疑問文で問いかけておられるからです「もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられないだろうか?いや、受け入れられる。」あるいは、他の訳では、「もし正しいことをすれば、あなたの表情は明るくなるのではないか?」とあります。言い換えれば、正しいことをすれば、気分が良くなるのではないか、ということです。しかし、同時に警告も伴っています。もし間違ったことを続けさえすれば、神は「戸口で罪が待ち伏せている」とおっしゃいます。そして神はカインに、自分の罪を治めるようにと言いますが、明らかにカインは自分の罪を治めることはありませんでした。カインは罪に支配されてしまい、偽りの口実で弟と散歩に行くふりをして、弟を殺してしまったのです。恐ろしい悲劇です。 最初の質問に戻りましょう。「なぜ怒っているのか?」カインの答えは何だったでしょうか?彼は沈黙しています。神は話し合おうとしますが、カインにはその気がありません。実際、カインは誰ともそのことについて話しませんでした。その代わりに、彼は怒りを募らせ続け、それがどんどん膨らんでいき、ついには弟にその怒りをぶつける結果となったのです。 カインは誰に対して怒っていたのでしょうか?この物語は、カインが神に対して怒っていたことを示唆していると思います。つまり、アベルはカインを怒らせるようなことは何もしていなかったのです。そして、神に対するカインの沈黙は、カインの怒りが神に向けられていたことを物語っています。ここに見受けられるのは、アベルという無実の犠牲者と、その背後にある真の標的である神です。 なぜカインは怒っているのでしょうか?神から恵みを受けられなかったから怒っているのです。その代わりに、神はアベルに恵みを示したのです。では、カインはどうしたのでしょうか? カインは神を罰することも、神に直接怒りをぶつけることもできません。そこで彼は、神に愛された者に対して手を出したのです。カインは神に対して直接何もできませんが、神の愛の対象を排除することはできます。神の愛の対象を殺すことで、神を傷つけることができるのです。 この行動は、カインの心の状態を完全にあらわにしており、彼は自分の心と向き合うことを拒んでいるのです。神はカインに、その問題と向き合う機会を与えます。神はカインに、なぜ怒っているのかと尋ねます。神はカインと話し合おうと望んでおられますが、カインは黙り込んでしまいます。神は、その怒りを抱え続けないよう警告します。しかし、カインは神の警告を無視します。 このことは、今の私たちも直面している原則を明らかにしています。それは、私たちと神の間に立ちはだかる問題と向き合うことを拒むとき、元の問題とは何の関係もない人々を傷つけてしまうことがよくあるということです。神が私たちの人生で働いてくださることに腹を立てると、つい他の人に八つ当たりをしてしまうことがよくあります。しかも、それは意図的ではないかもしれませんが、知らず知らずのうちに表に出てしまいます。神に失望して、その感情を家族にぶつけてしまうこともあるでしょう。神に不公平に扱われたと感じ、祝福されているように見える人々に対して恨みを抱き始めることもあるでしょう。神がこの人生で自分に与えてくださった立場に不満を抱き、自分より先を行っているように見える他人を批判してしまうこともあるでしょう。神の前で恥を感じ、自分への挑発のようだと感じる相手を激しく非難してしまうこともあるでしょう。あるいは、神が他の人に与えたものにただただ嫉妬し、その人を嫌うためのあらゆる理由を探し出してしまうのかもしれません。アベルは、カインが神との対立を放置した結果の犠牲者でした。カインは、神との関係を他者との関係に影響させてしまったのです。それは避けられない相関関係なのです。多くの場合、他者との関係は、神との関係を映し出しています。そして結局のところ、神が他者のために何をしているかということが問題なのではありません。より大きな問題は、神が私たちのためにしてくださっていることに対する私たちの不満や恨みであり、そこで神に決定する権利があるということも問題を大きくする理由です。 神はカインに、どうすれば状況が良くなるかを告げます。「正しいことをすれば、気分も良くなるだろう」。しかし、カインは「いやだ!」と言います。彼は自分のやり方でやるつもりで、圧倒的不利な状況の中でも、神に対する復讐を企てるつもりなのです。彼の怒りと嫉妬は、もはや冷静に考えることさえできないほど高まっていました。問題を放置し、悪化させてしまいました。そして、その後の数日、数週間、あるいは数ヶ月間、カインはアベルを殺す計画を練り上げました。しかし、全知全能の神の前で、それがどれほど愚かなことなのか、彼は全く理解していませんでした。 ここで、怒りや嫉妬、あるいは神に対する失望に苦しんでいる方々に向けて一言付け加えさせてください。この御言葉に耳を傾けてください。「もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない。」 一日たりとも、怒りや、その他の神様との間にある問題を、そのままにしておかないでください。そうしないと、あなたの思考は次第に盲目になり、霧がかかったように不明瞭になっていきます。そして、人を傷つけるような対処の仕方を考えるようになります。しかし、それ以上に傷つくのは、ほかでもない自分自身です。自分の目ではなく、神の目から見て正しいことを行いましょう。感情に基づいて決断を下してはいけません。正しいと知っていることに基づいて決断を下してください。 ですから、私たちが「神様が決める権利」に疑問を持ち始めるとき、そして自分自身や自分の置かれている状況を見つめるとき、そこに自分が望んでいないものを見つけると、神様が決める権利そのものに不満を抱くようになります。そして、私たちは他の人と自分を比べ始めます。 なぜあの人で、私ではないのか? なぜ神は彼女にそのような人生を与え、私には与えてくれないのか? なぜ神はその人の祈りに答え、私の祈りには答えてくれないのか? なぜ神は彼にはその扉を開いてくれたのに、私には開いてくれないのか? なぜ神は他の人を祝福しているように見えるのに、私を祝福してくれないのか? そして、結果として、私たちは自分が欲しいと思っているものを持っている人々に対して憤りを感じるようになります。しかし、本当の問題は、私たちと神との関係にあるのです。繰り返しますが、他者との関係は、私たちと神との関係を映し出しています。結局のところ、私たちが向き合わなければならない問題は、神がカインに問いかけたこの問いです。「なぜ怒っているのか?」その根底には何があるのでしょうか?なぜ他者に対して恨みを抱くのでしょうか?なぜ嫉妬するのでしょうか?あなたの心の中で、本当に何が起きているのでしょうか?その原因を探ってみてください。なぜなら、もし私たちが自分の内面で起きていることに向き合わなければ、それは私たちのそばにいる人々に影響を及ぼしてしまうからです。なぜ怒っているのですか?なぜ失望しているのですか?なぜ恨みや苦々しさを抱いているのですか?もっと深く、自分の心を見つめてみてください。 そして、カインがアベルを殺すというこの計画を練り、実行した後、まるでエデンの園のアダムとイブの時のように、神はカインを見つけ出し、彼に別の質問を投げかけます。 …


